ランオフの後の皇居4周
一つ前のブログで、「まだ子宮体がんと確定した訳ではないので、何とか気力を落とさず、大阪マラソン、大田原マラソンに向けて、トレーニングを継続したい。」と書いた。
しかし、実際には、先週末は、再びがんと闘わなければならない恐怖で欝々としていた。
そんな時に限って、だんなは家を空けていた。
もともと予定していた旅行なので、タイミングが悪かったとしか言いようがないのだが、やはり家に一人でいるとろくなことを考えない。
土曜日は、朝外を走り、午後からジムに行き、ジムから帰ってから、夜再び外を走りに行った。
その後は、ひたすらワイン(苦笑)。
日曜日は、皇居5周の予定だった。
しかし、朝起きたら、外は雨が降っていたので、二度寝してしまった。
再び目覚めた時には、雨は上がっていたが、全く走る気が起こらず。
久々に涼しく、ラン日和だったのに、結局走らなかった。
夕方、旅行から帰って来ただんなと、近所の居酒屋に飲みに行った。
その時に、「検査の結果がどうであっても、大阪マラソンだけは走ってよ」と言われた。
「〇〇ちゃん(=私)が北海道マラソンを走らなかったことを、俺は今でも後悔している」とも。
乳がんの告知を受けたのは、2006年8月。
だんなとともに、月末の北海道マラソンにエントリーしていた。
しかし、乳がんになってしまったショックから、道マラには出ないとさっさと決めてしまったのだ。
当時の道マラは、今のように市民マラソン化しておらず、制限時間4時間の厳しい大会だった。
しかも、テレビ中継の都合で、スタートは正午。
札幌で開催されるとは言え、やはり8月末は残暑が厳しかった。
エイドで出されるのは水のみ。
食べ物はおろか、スポーツドリンクすら出なかった。
給水テーブルは短く、各所でランナー同士で水の奪い合いが起こった。
告知を受けた8月は、検査は色々やったと記憶しているが、治療はまだ開始されていなかった。
なので、道マラを走ろうと思えば、走れたのだ。
しかし、当時の精神状態では、過酷な道マラを走れるとは到底思えなかった。
なので、DNSを選んだ。
結局、だんなも道マラを走ることを諦めた。
だんなの「北海道マラソンを走らなかったことを、俺は今でも後悔している」という一言には、このような背景がある。
道マラに向けてずっと練習を積んで来たのに、せっかくの機会を私が自ら諦め、成果を発揮しないまま治療に入ってしまったことを悔やんでいる、というのだ。
ひょっとすると、大阪マラソンを最後にまたしばらく走れなくなるかもしれない。
だからこそ、今度こそ諦めずに、ベストを尽くさないと。
新たながんに対する恐怖心は消えないものの、だんなと話をして、少し前向きに考えられるようになった。
日曜日に出来なかった皇居5周を、昨日の午前中にやることにした。
今は無職なので、時間的余裕があるのがうれしい。
今月初めに皇居4周した時は、キロ5分40秒ペースを目標にしたが、今回はそれよりも遅くキロ5分50秒から6分ぐらいで走ろうと思った。
このぐらいのペースであれば、無理なく走り切れるだろうと考えたからだ。
昨日の皇居周回の結果は、以下の通り。
28’46 / 28'27 / 27'52 / 27'59
5周の予定だったが、4周で終了。
4周の途中から、ものすごくお腹が空いてしまい、5周は無理と判断。
長く走る時の朝ごはんは、5枚切り食パン1枚では足りなかったようだ。
今月23日にMRI、そして、同30日には検査結果が出る。
どんな結果が出ようとも、前日の欝々を乗り越えて、皇居に向かった自分を私は忘れないだろうと思う。
昨日の皇居練は、きっと大阪マラソンで活きて来るはずだ。
☆今月の走行距離: 142.93㎞
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